おとといのJR東日本駅からハイキングの上野・浅草コースでは、
コース最初の方で上野公園から東京芸大に向かいました。 イロハニホヘト
そこに「卒展」という看板が。芸大の卒業制作の展示会のようです。
無料なので上野公園に戻って入ってみました。
作品は、本人の自画像とともに展示されており、受付も学生さんで、
入ると作品を付け替えている学生さんや、ライトを調整している
学生さんなどがいて、普段完成された展覧会しか見ることのない
この美術館の意外な一面を見た気がしました。
正直、インパクトのある絵とかは無く、素人にはこれが、この年度を代表する絵画に天才的才能を持つ人達の集団だとは理解できませんでした。
普通の絵画の他に、文化財修復科という、その名の通り、古い絵画、仏像、彫刻などの修復法を研究する学科の発表もあり、知らなかったのでどういう人がこの道に進もうと決めるのかなあと思いながら見学しました。
他に東京都美術館では武蔵野芸大の卒業制作展示会も行われていました。
東京都美術館にはわりとよく行くのに、毎年こうした行事が行われているなんて全く知らなかったなあ。

ところで、上野公園の美術館・博物館郡は私は子供の頃からよく親に連れて来られたので割と馴染みがあり、
首都圏で育った人なら皆そうだと思っていたのですが、
最近一緒に東京都美術館に来た友人(複数)に「初めて来た」と言われとても意外でした。
写真は、屋外展示の「イロハニホヘト チリヌルヲワカ ヨタレソツネナラム ウイノオクヤマケフコヘテ アサキユメミシヨイモセスン」という1979年の作品です。
石いっぱいにこの文字が掘ってあります。
美術館を出る時に左手に見えるので、都美術館というとこれを思い出します。
製作年からするとどうも私はこの作品を設置された当初から見いるようです。
現在は大分風化しています。
そういうのを狙った作品なんでしょうが、定点観測すれば良かったなあなんて思います。
昨晩、金スマに「女性の品格」の著者、坂東眞理子さんが出ていた。
この本、読んではいないが、正直騙された感じがした。
「品格」と言うからには、白州正子さんのような分野の人が書いたのかと思っていた。
ところが見てがっかり、どちらかと言うと私の分野の人だった。
家はあまりかたずいていないし、
実用重視で飾りっ気無し。
冷蔵庫の中も残り物のしなびた野菜しか無いし、
書斎も書斎と言うより作業場。

女性初のキャリア官僚だったそうだが、現在ではただのズボラなおばはん。

がっかりだよ~

黒田清子さんにでも執筆お願いした方が正解だったんじゃないだろか。
携帯電話が出たての頃は若者の携帯電話のマナーが問題になりましたが、
2008年の現在、携帯電話のマナーが悪いのは圧倒的に中高年です。
公共交通機関に乗ると決まって電話に出てるのは、オヤジかババア。
車内放送で「携帯電話のご利用はご遠慮下さい。」と流れている最中に着信鳴らす、電話に出る。
「もしもし~(しゃべるの遅い、耳が遠いせいか声でかい)、
あ、今バスの中で、後で、ええ、ええ、(やたら丁寧で切るまで時間かかる)」

まず、出るな~exclamation ×2
そんな一分一秒を争うような内容かexclamation & question

電車、バスの中では出ない、これがマナー。
乗る前に音切るexclamation ×2
切り方わからないなら、ずっとマナーモードにしっぱなしにせよexclamation ×2
「それじゃかかって来ても判らないじゃないexclamation & question」だと

それは「乗り物を降りたら携帯を出して、
そこで着信無かったか確認する習慣をつけるように。」
それだけの事だ。
移動中にまで話せにゃならんほどの用件なら、
こちらから掛け直してもよかろう。
あー、この面々に誰が公共マナー教えたらいいんだ、ったく、
歳上を躾にゃならんのか~あせあせ(飛び散る汗)

流行しているリリーフランキーさんの「東京タワー」を読んだが、噂に聞いていた通り、

親を癌で亡くしている者には、当時の事が思い出されて重い気持ちになるだけで、

単純には感動できなかった。

確かに、病気の部分はリリーさんは比較的本当のことを書いている。

TVドラマなどでは美化されすぎていて死が美しいとでもいうかのように表現されているが、

現実は叫び・やつれ・臭気など生き地獄で、自殺してしまったり、殺してしまったりするのも

やむ終えないというのが本当のところである。

リリーさんは他の人よりは描いているものの、やっぱりそれでも甘いと思った。


生きているということ、それは肉体が微生物に勝ち続けている状態だ。

生命がその有機物に宿っている限り、有機物はその生命体のものであって単なるモノではない。

しかし、ひとたび寿命が来ると、微生物が勝利を収めだし、1個の生命でできている人体に無数に

繁殖して滅ぼしてしまう。肉体は単なる有機物となり、微生物により腐蝕されて地球の一部に戻る。

結局、食物連鎖の頂点には微生物が君臨している。



先日テレビ東京の「たけしの誰でもピカソ」という番組で数学者特集という非常に稀な企画をやっていて、非非常に関心した。

一瞬NHK教育のフロントランナーをつけてしまったかと思った。

大学教員の数学者の皆さんが出ていて、

中でも若くてけっこう見た目かっこいい数学者の人の日常を紹介した様子は正直かなりうらやましかった。

彼の生活は、朝から晩まで、いや、寝ているときまで数学の疑問を解くのに費やされているのだ。

食事をしているときもそうで、今田耕司さんが「奥さん怒りませんか?」と聞いていた。

ほぼ一生....ほぼ一生途切れることなく興味を持ち続けてかんがえ続けられるなんて実に「羨ましい」。

同じ理工系の人間として数学者と理論物理学者は「別格」と考えていたが、本当に別格なのをまざまざと見せ付けられた。

この2つは努力が効かない、まさに「天才」系の人しか続けられない分野だと実感した。

正直、ノーベル賞の小柴さんや白川さんなんかにはどの1人とっても圧倒的に勝っていると思った。

藤原正彦さんが言っていた通り、ノーベル数学賞がもしあったら、熾烈過ぎる争いになるだろうし、

日本から何人も受賞者が出るだろうとは本当だろう。


ところで、番組中で、北野武氏が「俺数学だけ得意だったもん。東大受けるやつに教えたりしてたし。」

「最近数学の本しか買わない。」などと発言していた。それを聞いて本職の数学者の皆さんはどう思ったか

知らないが、世間の人も「同じだっていいたいのかよ!」と疑問に思ったかも知れないが、

私は納得した。やっぱり彼は天才で理系脳なんだ。数学者には及ばないだろうけど、脳がそれを欲している。

彼はああ見えて、明治大学の工学部中退の「理系の男」なのです。

私は高校生の頃異常な北野武さんファンでした。

更に私が当時音楽で好きだったのは、杉真理さんで、こちらも慶應大学工学部中退。

実はそんなところで結びついて人生が形成されているのかなとか思ったりしました。

昨晩、CXの「スタ☆メン」で、大阪のおばちゃんを特集していた。

誇張だと言われているが、服装の趣味については私の会社の同僚も既に20代の頃から豹柄なので間違えないと思う。

「いや、豹の"顔"だ」と田中さんは言っていたが出てた人は確かに全員豹の顔の服を着ていた。

私の同僚もあと数年で顔を着そうだが、今東京地区に住んでいるから関東の土地にその養分は入っていないのでだいぶ薄まっているだろうから、顔までは行かない事を願いたい。

おばちゃんは自分で言っていた。

「更年期過ぎた頃から恥ずかしいと思わなくなっちゃって、すっかりおばちゃんやね。」

「これ着ていると、闘争心が沸く。暗い世の中だから明るくね。」

・・・

私もだいぶおばちゃんの年に迫っているのだが、やはりこののりには馴染めない。

関東であっても、豹柄こそ着ないものの、大阪で言う「あめちゃん」(飴)を渡して大笑いしてコミュニケーションしている場面は良く見かけます。

飴自体食べない私はそのコミュニティにどう考えても入れそうにない。いや、入りたくないっす。


どうして、すっかりおばちゃんになってしまったのか?

たぶんこれは、本田健さんの「ユダヤ人大富豪の教え」にも書かれている「ミリオネア・メンタリティと同じ」だと思う。

「こうありたい」と思う姿のように振舞っていると、そのイメージに近づけるようなものを引き寄せられる、という話。


大阪のおばちゃんは、ああなりたいとは思っていなかったかも知れないが、たぶん「こういう自分でありたい」という強いものが無かったんだろうと思う。


私は同じ家に育ったにもかかわらず、親・妹・弟、それぞれ違う人間になっている。

特にお金の面は顕著。

弟はお金にがめつく、ギャンブルまでやるから、それなりに金は持っている。

妹は「しかたない」という言葉を頻繁に使い、本来は自分の希望でないが、

現実と照らし合わせてやむを得ず妥協している人生になっていて、お金はそう潤沢ではない。

で、私はと言うと、お金自体を中心にしていないし、浪費家なので、弟ほどは持っていない。

しかし、「こういうかっこいい生活をしたい」とか「こういう人間にはなりたくない」いう子供頃から一貫したイメージがあり、

そのせいか、そのイメージを保つだけの金銭は手にしていて親よりかなり裕福な人生になっている。

お金は労働の対価以外にもたなぼた的に手にすることもある。


私は子供の頃恐れていた今の年齢の女性のようには、見た目はともかく内面はなっていないと思う。

いや、見た目も、肉体の老化はともかく服飾はなっていない。


40過ぎると男は自分の顔に責任を持てとか、顔に人生が出ると言うが、それは本当だと思う。

私も、ゆらぎない「なりたくないイメージ」からは確実に離れてた私になっていると思う。

宇野さんがライブドア株を買った狙いが皆さん判らないって言ってますけど、

皆さん、本当は判っていて敢えて口にしないんでしょ?

じゃあ、私がここで言ってあげます。


「アニキはライブドアを堀江くんに返してあげようとしているのさ」


アニキ、さすが苦労人。

若い頃チャラいサークル主催していたけど、大阪有線再建したことですっかり人間出来た。


たぶん、彼は、この95億円で堀江氏と組んで、古い頭のオヤジ連がリタイアしきった10年後位には、

新しい世界を作れると踏んだんだと思う。堀江氏は圧倒的な才能があるからね。

堀江氏に、win-winの関係を見せてやるのも彼流のやり方なんだと思う。


昔、このサイバーエージェントの社長さんの藤田さんにも

「お前の会社なんていらねーよ」と言って、

倒れかけた藤田さんの会社を建て直させたっていう話ですからね。


時代は確実に変わっている。

RECRUITの無料雑誌R25の3/10号にみうらじゅん氏の記事が載っている。

そこに、糸井重里氏に言われた事を実行し、効果があった事として、

土地と人生の関係を示す素晴らしい事例が紹介されている。

「・・・高円寺を出てちゃんと事務所を開かないといい仕事はできないって、(中略)、でもやってみた。

同潤会アパートの裏のワンルームマンションに入って、『ラフォーレ』でブランド物の服を買って、流行っていたボストン型のメガネを買ってテクノカットにした。そしたら結構マガジンハウス系の仕事が来るようになって、・・・」


表参道という土地の養分が体に吸収され、力の源になったのだと思う。


人間も、植物のように根から土地のものを吸収してしまう。

子供の頃はたいていの人は1箇所にしか住んでいないし、視野が狭くて親や学校との関係しか見ていないのでその事に気がつかない。

また、親や先生も住む土地を変わっていないと差についても判らない。

更には不文律として、土地の上下を言ったりすることがあまりよろしくない事として言及されない場合も多々ある。


この記事にある、中央線沿線がサブカルチャーレベルで安堵してしまうという風土であるということは、

中央線の民俗を書いている様々な出版物にも共通して書かれている。


私は埼玉南部の柄の悪い地域に育った。

親は自分さえしっかりしていれば周りは関係ないと言うような考え方だったようだが、

(事実、近所の子とあまり友達にならないようにというような教育をされた)

申し訳ないがそれは無理である。何せ根からどうしても吸収してしまうので。


どのような人間になりたいか。目指す方向があるのなら、そのような人が居住している地域に居住すべきである。


以前にも書いたが、「住めば都」という意味は、住むとそこが良くなってしまうので住む場所には細心の注意を払えという意味であって、

どこに住んでも住んでみれば良さがわかるという意味では決して無い。

なぜ都になってしまうのかと言えば、上述したように、土地の養分が体に入ってしまってそこの人になって

しまったからである。


居住地を選ぶのには十分注意したいものである。




私は、4年半会社勤めの傍ら大学院に通い、昨年博士号を取得しました。

私が何故時間も金もかけてこれをやったかといえば、 「私は何の人」 というものを作りたかったから。

私はサラリーマンなので、自分にマークをつける行為をしないと単なる勤め人になってしまうからです。

いわば、「私は漁師です」とか「私は大工です」というのと何ら変わりはありません。


ところで、私が博士を取得したという話を聞いて、興味を持っていただいた方の中に以下のような人がいた。


1.ある会社の役員、多分40代後半

  「ねえねえ、次何するのよ。」 私の博士取得に対しての第一声。

  彼は会社で偉い立場にありながら、今も勉強を続けていて、社会人入学で修士課程の学生をしていて

  MBA取得を目指しているそうだ。

  それより前、既に2つ目の大学を社会人入学して卒業しただけでなく、脚本家になる学校にも行ったらしく

  他にもいろいろと学校に行ったらしい。

  また「医学博士は医者でなくても取れるよ」と、いうような話をされた。


2.弁理士とMBAをつ同じ会社の女性の先輩、45歳

  日本女子大出身とのことで、自分が優秀であるということを常に示したいらしく、

  会社から語学留学させてもらい、更に自ら志願して特許部門に異動させてもらい

  その上かの難関の弁理士を取得、その上社会人入学でMBAを取り、

  今年の春からMOTの博士のコースに通うと言う。しかし、別に平社員です。


皆さん、上記のお二人について立派な人だとお考えですか?

本人たちには言えませんが、私は申し訳ないけど「全くそう思わない」。


この2人にお伺いしたいことは、「あなたがたいったい何になりたいんですか?」


多分、お二人とも「受動」の人生であって、更にエリート意識をくすぐられることをしていないと気が済まないのだろうと思います。


私もそうだろうって?そうかもしれませんね。

しかし、いいわけがましくも一応述べておきますが、

私は大学院に進学する元になることを仕事で経験して、その苦労も醍醐味も味わってこれが一生やってもいいと思える分野だとわかったから進学したんです。


そして、博士を取得していたほうが、この分野で活動するのに有利だからということと、

更には大学院での研究すること自体を目的にしていました。


幸いにして、卒後の今も、指導教官の先生の計らいで研究活動に携わることが出来ています。

私は生活していく上で必要に迫られでもしない限り、別の学校に行って新しい資格を取る気などありません。

だってそんなことしたら私が「何者であるか」がぼけますからね。


上記2名はいわゆる「資格取りマニア」なんだと思います。

資格取りマニアの皆さん、学校産業にお金払って受動の生活をするより、自ら学校を起こすくらいの事して下さいよ!

だって皆さん「優秀なんでしょ!?」

韓国でバイオの論文捏造が話題になっている。

韓国では自然科学分野でノーベル賞が出ていないと初めて知った。

ノーベル賞がそんなにすごいものでもないという話もあるが、

そんな話を聞くと『実はやっぱり日本人すごい』と再認識させられた。

ノーベルの国から見たらはるか遠くのアジアの片田舎に見える日本。

大陸と切り離されて、わざわざ行かないと着けない日本。

特殊言語を使っていて、話し通じない日本。

そんな国から、世界が絶賛するような科学技術の発見がたびたび出たとは、

日本人も捨てたものでもないというか、インド人がITに強いのと同じで、

日本人も自然科学にとても強い国民性があるのだ。

さすが一時家電製品で世界を席巻しただけの事はある。

そして、韓国の皆さん、自然科学分野がこれからも流行るわけでもないので

そこまで力入れて、真面目に自然科学分野でがんばろうなんてしないほうがいいですよ。

得意分野を伸ばせばいいのだ。これから流行る分野でね!